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エルブレーム二世
〈写真〉(No data)
出生1303年
出生地テソモニア ヤクーツク地方 フナバーシ市周辺
年齢68歳
性別
学歴エルブレーム王立学校の(仮)
職業スペンキ
称号エルブレーム二世 文治王

来歴

1303年 エルブレーム王国のスペンキの跡取りとして生まれる。
1316年 スペンキの命により南方軍の将軍となる。
1318年 南方のモンゴル軍との小競り合いに将軍として向かい、激しい戦闘を味わい戦争の恐ろしさを知る。
1319年 学力の高かったこともあり、彼が将軍を辞めたいという発言をスペンキは受け入れ彼は国王補佐とともに内政面において働くことになる。
このことに関して当時の国王補佐は彼を聡明と称えスペンキとしてふさわしいと述べたと言われている。
1325年 内政面において優秀だったこともあり宰相に抜擢される。
1329年 先代スペンキの死亡により彼がエルブレーム二世として即位する。また当時宰相であったこともありしばらくはスペンキでありながら宰相も兼任した。
1331年 エルブレーム二世は過去に大幅に領土を拡大し今ではかなり大きな国となったと述べた上で戦争の反対の意思を述べた。
この発言は現在では賛否両論で「エルブレーム王国の経済の発展に繋がった」という意見があれば「臆病者でエルブレーム王国の繁栄を築き損ねた」という意見もある。
1336年 当時安定して存在していた国として日本国に使節団を送る。これが空白のエルブレーム時代の後初めての外国に知らされたエルブレームの姿となった。
1351年 老年を感じ15年下の従兄弟ナウル?に宰相の職を譲り、エルブレーム二世は内政面から1部手を引くことになった。
1371年 エルブレームニ世死去。その後の後継者争いで60年にわたるエルブレーム内乱が始まる。

※父?エルブレーム一世との間に1人エルブレーム王がいたとされている
詳しくは空白のエルブレーム時代?を参照

親族

父もしくは祖父 エルブレーム一世
長男 ドムストートゥリン?
次男 バンドゥ?
三男 スネフト?
従兄弟 ナウル?

エピソード

エルブレーム二世は16歳で戦争を経験して以来生涯戦争を毛嫌いした。そのため歴代国王の中でもトップクラスの温厚な性格だったとされ、彼の命令で死罪となった部下はいないとされている。

名言

彼は温厚な性格もあり父?エルブレーム一世を尊敬しながらも暴力的な考えには否定的であった。
そこでこんな名言をのこしている。

「エルブレーム一世は国を作った優秀な方だったが彼は将軍になるべきだった」

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