解説
ウィートマンとは、オクター連邦シドニーに本部を置く出版社である。設立当初は、ブルー新聞社としてシドニーの地方紙を出版していた。
概要
ブルー新聞社は1934年に実業家のアントワン・ブルーによって設立された。設立当初は地方紙を出版し、技術部のトム・ディアスによるオフセット印刷機の改良などを得て順調に市場を拡大していった。1938年のオーストラリア鉄道の開通により、西オーストラリアにも市場を拡大し、全国紙としての地位を築いた。また、1950年に複写機をいち早く取り入れたことで海外からも脚光を浴び、オクター連邦の出版社で一番の売り上げとなった。ところが、1982年、ジョン・ローソンが代表となり、海外への進出やもともと出版していた地方紙を取りやめるなど、急進的な営業を続けた結果、経営不振で新聞の売り上げが1/5まで減り、ライバル企業のポアソンに首位の座を奪われてしまう。1970年では売り上げが1億ドルになり発展途上の中堅企業と変わらないレベルになった。その理由の大きなものとしてブルー出版社のメンバーシップ型の雇用形態と社長や会社役員の権力の強さにあった。ブルー出版社は上場企業の中で唯一メンバーシップ型の雇用形態を採択した企業だった。1960年代に他の企業が続々とジョブ型へと雇用形態を変えていく中代表者ボブ・ゲデスによる保守的な企業方針を貫いた。その際にブルー出版社に就職する5大大学の人材が別の出版社へ就職し、新入社員数が減少し技術継承や教育が行き届かなくなった。その結果、ブルー新聞社の売りでもある報道の中立性が社員の質の低下により保たれなくなった。また、このとき業務形態を変えるためにストライキなどを起こした社員もいたが、社長や会社役員の圧力により労働運動は失敗に終わり、その後約20年間は経営不振が続いた。しかし、1995年にウィートマン・ジョーンズが代表になり、衰退していた新聞出版から技術書や実用書に目をつけ、それを取り入れ、事業の交代を徐々に進めた結果、2010年には出版業でオクター首位の座に返り咲いた。現在はウィートマン・ジョーンズの功績から社名をウィートマンに変更し、学生や社会人向けの技術書や実用書を出版している。(ブルーさんかわいそす)
ウィートマン電子書籍アプリ「novel-core」
ウィートマンは2012年の4月から電子書籍サービスを開始している。現在では15132冊の本がデータベースに貯蔵され、いくつかのサービスが存在する。
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