最終更新: katorasu_514435246 2021年07月17日(土) 20:30:05履歴
グアダラハラ | |
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基本情報 | |
国 | グアダラハラ連邦 |
市 | メキシコ市 |
都市性格 | 観光都市、首都 |
建設 | 2003/3/19 |
面積 | 1.485km2 |
総人口 | 885.5万 |
人口密度 | 5943/1km2 |
隣接都市 | メヒコ州、モレロス州 |
UTC | 06:00 |
市外局番 | 55 |
主要民族 | メスティーソ |
市木 | サビノの木 |
市花 | ダリア |
市鳥 | カラカラ |
市政 | |
市長 | 市長の名前。 |
議会 | メキシコシティ州議会 |
市役所 所在地 | ソチミルコ |
市旗 | |
余裕があれば貼る。 |
このメキシコシティの発端となったのがアステカ王国の築いた「テノチティトラン」である。アステカ人がこの地に来てテスココ潮の干拓を行ったことによりは「テノチティトラン」というアステカ王国の大規模な都市が成立した。このメキシコシティの発端となるテノチティトランは人口は最大30万人を越え、水道橋や大規模建設、中央部にはピラミッドが築かれテノチティトランはアステカ王国の首都となった。更にアステカ王国は発展と拡大を続け、首都であるテノチティトランも拡大して行き最終的にテノチティトランはメキシコ湾沿岸、太平洋沿岸、インカ帝国まで拡大して行きテノチティトランは「メソアメリカ最大で壮麗の都市」となった。
1519年、メキシコはスペイン人のエルナン.コルテスに征服され、アステカ王国によって築かれた壮麗なテノチティトランは破壊された。テノチティトランが破壊された後メキシコはスペイン等の洋風建築の建物で埋め尽くされ、これにより「メキシコシティ」が作られた。1535年、ヌエバ.エスパーニャ副王領が築かれ、副王領は北アメリカからカリブ海まで管轄することとなりこのメキシコシティはその中心となる都市となり、この地はアステカ王国時代のテノチティトラン以上に繁栄した。尚この時代の1551年には世界で二番目に古いとされている大学である「メキシコ国立自治大学」(現在は名称が代わりグアダラハラ国立自治大学となった)が築かれている。
メキシコは1810年9月16日に独立を遂げ、これにより「メキシコ合衆国」が成立した。メキシコシティはこのメキシコ合衆国の中心となる首都となり発展を続けた。メキシコ合衆国は成立した後暫く安定したが、ロシア帝国が崩壊し社会主義国家であるソビエト社会主義共和国連邦が築かれ、国は遠いがこの「社会主義」という思想にメキシコは影響され国内では労働や経済の問題が立て続けに起きていたためこれに不満を感じた労働者や社会主義者は各省庁や政府の行政機関が立ち並ぶ首都のメキシコシティに集結しメキシコ合衆国の政府に対してデモや運動を起こし最終的には内戦という最悪の事態を招いた。数年後メキシコ共産党が政権を握り「メキシコ共和国」という国が成立した。メキシコシティは首都として使われ続け今もなお社会主義国時代の銅像や建築物、文化的遺産が残されておりこれらは国の歴史遺跡等に指定されている。
メキシコ共和国の社会主義政権は長きにわたり安定し続けたが1940年代ごろになると国の軍事費は国家予算の半分を越え国民は飢えに満ちて餓死する者も沢山発生した。首都であるメキシコシティの郊外ではスラム街もできスラム街では不衛生さが原因となった疫病が発生した。無論国民はお金がなく、国も国民にお金は回さず軍事費等に回していたため疫病治療の薬は購入せず、配布もされなかった。国民はこれに不満を感じ首都のメキシコシティよりメキシコ合衆国時代の時のようにデモなどを起こした。これは政府に予想より遥かに大きなダメージを与え最高指導者を自殺まで追いやった。これを「メキシコシティ変革運動」と呼んでいる。このメキシコシティ変革運動によりメキシコ全国の民主化が進み「グアダラハラ連邦」という国が成立した。
「メキシコシティ変革運動」が起こり「グアダラハラ連邦」という新たな国が成立した。首都はメキシコシティからグアダラハラへ移り行政機関等もグアダラハラへ移った。首都でなくなったことによりこの都市は衰退すると思いきやこの都市は発展を続けた。産業面では第三次産業を主力とし今までの歴史を肌で感じられる都市として観光都市としても発展した。
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