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諸島名ノヴォシビルスク諸島
所有国テソモニア民主共和国
人口2,453人
面積29900km^2
通貨ソモ

概要

ノヴォシビルスク諸島はナヴァリスク州に属する島々である

中央にある最大の島スキルダ島が本島として定住者の9割近くの2100人が住んでいる。
東隣のユージニー島は南部の海に魚群が現れるため、漁場として使われている。
定住者もいるがスキルダ島から毎日ユージニー島に舟で行く者が多数である。

最も北にあるコクレトナ島は国内最北端の土地として国内最北端碑が建てられている。
ただし定住者はいないためこの島に行くには月に1回だけ本島から来る連絡舟に乗るしかない
※植民地は含まない場合の最北端

本土に最も近いルブレフ島には高さ2651mのルブレフ山という現在も年周期で噴火する活火山があり、地熱発電の研究所として様々な大学チームの寮がある。
ここ百数十年は大規模な噴火が見られていないがそろそろ大規模な噴火が来る可能性もあると専門家は言っている。

他にもオロフ島、ブツコ島、サーシャ島、ティムラズ島、イリア島などの島もあるが
それらの島は定住者はなく、歴史的関係もないため紹介をしない

近年では国の推進する経済成長戦略である北極海航路の一環としてスキルダ島に大規模な港と倉庫を置くことも検討されている。

歴史

ノヴォシビルスク諸島の発見

初めてノヴォシビルスク諸島が文献に書かれるのは1557年にエルブレーム王国の北部の海岸に住んでた人々がさらに北を目指したことにより発見された。

16世紀の中頃になると今までは明などの中華圏の国々と交易を行っていたが明の衰退により中華圏でエルブレーム王国でしか取れないような交易品を高値で買う人が減り、それとは別にヨーロッパの国々の存在も知るようになり
これまでは中華圏のみと交易を行っていたがヨーロッパ諸国との交易も重視するようになった。
ヨーロッパ人は知らない異国の地で取れる品物に興味を持ったがその中でも特に目を引いたのがイッカクの角であった。
ヨーロッパ人は初めてそのイッカクの角を見た時にユニコーン(角が1本の馬 架空動物)の角だと思い、1度商人に買われたあとヨーロッパで多くの貴族の取り合いになるほどだった。

それを知ったエルブレーム王国の人々はさらにイッカクを探すことにしたが、当時イッカクは北部の海岸でも滅多に見つからない動物で直ぐに捕まえることは出来なかったが北部の海岸沿いの人々は北に行けば行くほどイッカクを捕獲しやすいと考え、一攫千金を狙い多くの人々が北へ向かったのだった。

ノヴォシビルスク諸島への植民

1557年 イッカクを探すため北方を向かった人はイッカク探しから3度目の夏であるこの年に彼らは北へ北へと向かいノヴォシビルスク諸島を発見したのだ。(最初に発見された島はルブレフ島)
彼らは島を発見したものの資金源を出してくれる豪族(北部は永遠と続く荒野だったので当時の技術では多くの人が集まれる程の生活環境を整えることが出来なかった。)はいなかったため、島に目印を立てて1度村に帰宅した。
その後このことを北部の有力豪族であるイヌイット系のホルユーク族の主張ルブレフに頼んだところルブレフは大いに喜び島に自分の名前をつけることを条件に大金を貸した。
これによりルブレフ島にイッカクをとるための新たな拠点作りが開始された。
1558年の6月第一回目の拠点作りが完成しイッカクを時々とる事ができたがその年の冬に第1次ルブレフ島植民者は全滅、その後第2次、第3次と行うものの全て冬を耐えきれず全滅してしまった。
そこで第4次ルブレフ島植民者は夏の間だけ拠点として使用し冬になったら本土に戻ることを提案した。
首長ルブレフはその意見に賛成し、その年から安定してイッカクをとる生活をすることができるようになった。

神の宿る島へ

ルブレフ島の植民が安定して数年経つとさらに北に何個も島があることに気づいた。
このことを知った様々な豪族たちは自分たちも資金を次々とだしノヴォシビルスク諸島の多く島が植民されて言った。
もちろんこの話はスペンキの元にも届き当時のエルブレーム王はノヴォシビルスク諸島の中で中央にある巨大な島をほかの豪族から購入することにした。(スキルダ島)
どのような島か王家直属の家来が視察に行くと
驚きの光景を目にする。
何とこの島の形がエルブレーム神話で北の守り神であるクラノイト神の住処と同じような姿の島だったからだ。
そこで家来はこの島にはクラノイト神が宿っていると考え
この島にクラノイト神を祀るための社を立てることを決めたのだった。
またクラノイト神がそこにいることを小耳に聞いたほかのノヴォシビルスク諸島にいるイッカク取り達はこの島が安全だ!と考え多くの人々がスキルダ島に集まるようになった。
そのため、当時の文献によるとスキルダ島は17世紀初頭には人口1000人はいる島だった。

ノヴォシビルスク諸島の衰退

イッカク漁と神社で栄えたスキルダ島だったが17世紀後半になるとヨーロッパの国々が北米への植民を行い、その時にイッカクが取れるようになったことでヨーロッパでのイッカクの角の価値は大暴落した。
そのためイッカク漁は大幅に衰退し、イッカク漁者は最盛期の1300人から200人ほどにまで減ってしまった。
さらに追い打ちをかけるようにルブレフ島が大噴火をし、火山灰が空に舞ったため夏なのに太陽の登らない日が続き、涼しい夏さらに極寒の冬を引き起こした。
今までとは比べ物にならない激しい冬によりノヴォシビルスク諸島のみならず北部の海岸の臣民の多くが飢えや寒さで死んでしまった。

その後はノヴォシビルスク諸島は衰退の一途を辿りクラノイト神社の神官が住むだけの島になってしまった。

社会主義体制下でのノヴォシビルスク諸島


政治

ナヴァリスク州に属するためノヴォシビルスク諸島の政策はナヴァリスク州議会の元で行われる。
ノヴォシビルスク諸島をナヴァリスク州とは別の州にする意見もあるが極めて少数派であるためこれからもノヴォシビルスク諸島はナヴァリスク州に帰属すると考えられていたが、近年のスキルダ島の公益中心地としての利用が計画されていることからノヴォシビルスク諸島が国の直轄地域となる可能性も出てきた。

経済

この国の現在の主な収入源は漁業と神社に参拝に向かう客の観光費である。

軍事

国の軍事について

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