コンスタンティノープルは、330年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世が、古代ギリシアの植民都市ビュザンティオン (古希: Βυζάντιον) の地に建設した都市である。この地は古来よりアジアとヨーロッパを結ぶ東西交易ルートの要衝であり、また天然の良港である金角湾を擁していた。都市名は「コンスタンティヌスの町」を意味する(ラテン語:Constantinopolis)。
330年より東ローマ帝国の行政首都として建設された。西ローマ帝国において西方正帝が消失した後には同地で「新ローマ」「第2のローマ」とする意識が育ち、遅くとも6世紀中頃までには定着した。東ローマ帝国の隆盛と共に、30万〜40万の人口を誇るキリスト教圏最大の都市として繁栄し、「都市の女王」「世界の富の3分の2が集まる所」とも呼ばれた。また古代の建造物が残る大都市としてその偉容を誇った。正教会の首長であるコンスタンティノープル総主教庁が置かれ、正教会の中心ともなり、ビザンティン文化の中心でもあった。都市の守護聖人は聖母マリアである。
コンスタンティノープルは強固な城壁の守りでも知られ、東ローマ帝国の長い歴史を通じて外敵からの攻撃をたびたび跳ね返した。しかし1204年に第4回十字軍の攻撃を受けると衰退が加速したが、1453年にオスマン帝国軍を返り討ちにして以降勢いを取り戻した。